奈良で遊んできました(5)2010年09月25日 19時23分35秒

亀形石像物(狂心渠:たぶれごころのみぞ)
 3日目の続き。前日にパスしてしまったたこ焼きを食べました。ちょっと冷めていたけど、まあまあいいお味でした。でも、やっぱり朝ご飯に食べるものじゃない気がします。

 早々にチェックアウトして向かった先は石上神宮です。えらく気の強そうな鶏の群れが迎えてくれました。捨て鶏が棲みついたものだそうですが、今やすっかり神宮の顔。

 神宮自体は、日本最古級のものにふさわしい雰囲気です。6月までなら国宝の七支刀が公開されていたのですが、とうてい間に合わず。社務所ではそれをかたどったブローチが売られていたけど、ちと大き過ぎます。キーホルダーか携帯ストラップなら買ったんだけどな。

 次の目的地は石舞台古墳ですが、その前に腹ごしらえ。すぐそばの夢市茶屋というところで古代米御膳をいただきました。呉豆腐というのがとってもおいしかった♪ 葛粉で固めるのだそうですが、もっちりした食感がたまらなくいいのです。階下の明日香の夢市という店舗部分では古代米などが買えます。あいにく時間がなかったのでろくに見ていませんが、お米だけでも何種類かあるみたいですよ。

 で、石舞台古墳です。中学校の修学旅行も含め、来るのは3度目。どれだけ好きなんだ、私(-_-;) 石の上に登ることはできませんが、玄室に入ることはできます。石の隙間に小銭がいっぱい挟まっていました。池や噴水にコインというのはよく見るけど、石にというのは何なんでしょう。香典じゃないですよね。お賽銭?

 その次に行ったのが酒船石遺跡。酒船石も見たかったのですが、目当ては亀形石像物です。発掘されたのが2000年と最近のことなので、掲載した写真に見覚えのある方もいらっしゃるでしょう。これは、午前中にニアミスで終わってしまった牽牛子塚古墳の主と推定される斉明天皇がつくらせたものと言われています。彼女は大規模な土木工事が好きで、駆り出される庶民には評判が悪かったようです。日本書紀に「たわむれ心の溝工事。むだな人夫を三万余。垣造りのむだ七万余。宮材は腐り、山頂は潰れた」とか「石の岩岡をつくる。つくった端からこわれるだろう」(引用文は『全現代語訳 日本書紀 下』(宇治谷孟 講談社学術文庫)p.199)という庶民の声を書かれちゃったほど。でも、つくられたときは庶民を圧迫するだけだったけど、後に観光資源になるものってありますよね。ノイシュバンシュタイン城とか。……集客力が違い過ぎるとは思うけど、頑張れ!

 さて、今回の奈良旅行はこれでおしまいです。奈良ってコンパクトだけど見どころが多いから、2日や3日じゃ回り切れないんですよね。また行きたいです。